空手は琉球から19世紀末に日本に伝わりました。
琉球、沖縄発祥ですから、空手の形の名称は元来沖縄名です。現在のいわゆる本土空手の形の名称には日本語名が多くあります。例えば平安の形はもともとはピンアン、松濤館の半月はセイシャン、糸東流の公相君(こうそうくん)はクーシャンクー、と言った具合です。
最初に形の名称を沖縄名から日本語名に改変をしたのは、唐手を空手に変えて広めた富名腰義珍です。漢字の当て字をするようになったのもそうでしょうか。1922年出版の、富名腰義珍著「琉球拳法唐手」ではまだ沖縄名が使われており、平安もカタカナで「ピンアン」となっています。漢字の例外は公相君で、これは「公相君」の名前が文献に登場する18世紀の「大島筆記」にすでに公相君と書かれていたからでしょう。これを沖縄読みでクーシャンクー、もしくはクーサンクーと読みます。
それが1935年出版の船越(富名腰)義珍著「空手道教範」で、ピンアンを平安、その他漢字を当てはめるだけではなく日本語名に改名されています。形が明治期に伝わった剛柔流も、三戦や東恩納寛量伝、福州伝の形は沖縄名のままですが、後世になって宮城長順が創作した転掌、撃砕は日本語です。
ところが和道流だけは、現在でも形名称はすべて元来の沖縄名のままで、漢字は使わずカタカナ表記です。日本武術の影響が強く最も「本土化」が進んだ印象がある和道流ですが、ナイハンチの鉤突きが古流首里手の技を残している可能性があったり(→くわしくはこちらの記事「松村宗棍の首里手と和道流」)、意外と最も琉球色を残しているのかもしれません。
しかも松村宗棍自身が薩摩の示現流剣術を学んでいるので、宗棍から伝わった首里手に日本武術の思想が最初から入っていても不思議はなく、日本武術の系統でもある和道流と親和性があってもおかしくはないですね。
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