和道流はもちろん、どの流派でも、その流派独自の技の使い方とかあるのが空手の面白い所だと思います。四大流派のうち和道流が他の流派と徹底的に異なっているのが外受けと上げ受けです。外受けは和道では払い受けと言うことが多いですが、他の三流派は基本的に肩より下の中段がメインだと思います。それに対して和道はセイシャンの前半以外は全部上段で肘を肩の高さ位まであげます。上げ受けも二の腕の上腕二頭筋が耳に当たるくらいまで肘で跳ね上げて流すように上げます。
さらに和道独自だと思われるのがナイハンチやニーセーシなどの鉤突きのやり方です。例えば糸東流の鉤突きは、肘を曲げたまま真横に突き、体側の所で止めて鉤構えになります。他のほとんどの流派の鉤突きも「肘を曲げて真横に突く」だと思いますが、和道流は違います。和道の鉤突きは、真横ではなく斜め前方に肘を伸ばした直突きをした直後脱力して肘を曲げた鉤構えになります。
なぜ斜め前方なのか、不肖私めには謎ですが、しかしこれが実は和道流独自の方法ではないのではないかと思うようになってきました。
昭和9年12月発行の「空手研究」に「元祖実戦派空手家」として知られた本部朝基の執筆した記事が掲載されていますが、その中にナイハンチの鉤突きにかんする記述が有り、
「松村先生の流儀は拳を斜前に突き出すので肘が完全に伸びている。然し糸洲先生の流儀は拳を胸部に平行するやうに突き出すので肘の所で角に曲げて居る」
という一文があります。
糸洲先生とはもちろん糸洲安恒、そして松村先生とは首里手の本家松村宗棍です。その松村宗棍の鉤突きが「斜前に突き出すので肘が完全に伸びていた」というのです。「斜め前」「肘が完全に伸びていた」とはまさに現代の和道流の鉤突きの同じなのではないか?・・・・いや、これだけではわかりませんが。一方糸洲安恒の鉤突きは糸東など現代のほとんどのナイハンチなどの鉤突きと同じやり方でしょう。
しかしこれ以外にも和道流空手と松村宗棍の首里手の共通点と思われる記述も本部朝基は残しています。いわく、「ナイハンチで松村先生は足を軽く下ろす、糸洲先生は強く下ろす」「松村先生は力を抜くように指導されたが糸洲先生は聞き入れず那覇の長濱先生の所に行った」などの記述がありますが、和道流もやはり足の踏み下しは基本的に音をたてないように軽く下ろします。そしてその本部朝基のナイハンチの外受けも、写真で見る限り和道のような上段で行っているように見えます。
いやー、空手って、本当にいいものですね。それではみなさん、ごきげんよう・・・・