和道流の空手は首里手系と言われる事が多いと思いますけれども、和道の形には那覇手源流の形も2つあります。
そのうち特に那覇手っぽい(?)のはセイシャン。全空連第一指定形でもあるセイシャンですが、「セイシャン」とは、那覇手の剛柔流にもあり全空連第二指定形にもなっている「セイサン」と同じルーツの形です。糸東流には剛柔流と同じ東恩納寛量派のセイサンと、「松村のセイサン」もしくは松村派セイサンという2種のセイサン呼称の形が2つありますが、その松村派セイサンが和道のセイシャンになります。松濤館では半月と言う名前になっています。
その松村とは首里手の大家、松村宗棍ですね。その松村宗棍師が那覇久米村に伝わるセイサンの形を学び、それが「松村のセイサン」として首里手系の形として伝えられたのだと思われます。「セイシャン」の呼び名になったのはいつ頃からかは分かりませんが、1922年出版の、富名腰義珍著「琉球拳法唐手」にはすでに「セーシャン」となっています。これは富名腰義珍師の改変か、富名腰の師匠の安里安恒師からなのか、あるいは琉球語発音の関係なのか、は不明、というか不肖私の調査不足というか。ちなみに「琉球拳法唐手」から13年後の1935年出版の船越(富名腰)義珍著「空手道教範」では「半月」となっています。
セイサンには●●のセイサンという感じで多くの種類がありますが、東恩納寛量、宮城長順伝の剛柔流セイサンと和道流セイシャンにはやはり元は同じっぽい共通点があります。どちらも演武線が十字。そしてまず三戦立ちで、拳で3歩進み、振り返って今度は開手で再び3歩進んだ後右へ素早く寄せ足で相手に入り身する、なところはセイサン、セイシャンどちらも同じです。三戦立ちの所は和道流セイシャンではセイシャン立ち、松濤館では半月立ちと言います。
逆に大きく異なるのは一番最後。剛柔流のセイサンは猫足で回し受けしますが、和道流セイシャンと松濤館半月では、猫足っぽい立ちで少し下半身を右へねじり、両手で下段への掌底受けになっています。糸東流の松村のセイサンは回し受けになっていますが、先述の「琉球拳法唐手」では下段掌底受けになっています。また、現在の剛柔流セイサンが、もともと那覇久米村に伝わるセイサンなのか、東恩納寛量と宮城長順が明治期に中国福建省から習得してきた形なのか浅学の私にはわかりません。
よく「形は勝手に変えてはいけない」などと言われますけれども、先人たちはどんどん変えていってるのですね。「空手は一人一流派」などともいわれるゆえんです。その形のルーツや変遷、歴史を探索するのが空手の楽しいところでもあるのです。
新品価格 |